五味庠主のことば(令和3年11月23日)
孔子の語った言葉を集めた『論語』の為政(いせい)第二に「子曰く、吾れ十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る」とあります。この言葉を皆さまは御存じのことでしょう。
私が初めて知ったのは高校の教科書でしたが、この言葉に思いを致すようになったのは、兼好法師の『徒然草』を歴史学的に解明していた時のことです。兼好が「つれづれなるままに」書くようになったのは、何時なのかを考えた時でした。
その時に思ったのは「不惑」でした。惑いの連続であったのが吹っ切れた時、我が惑いの事どもを書くようになったかと考えたのです。『徒然草』には、兼好が『論語』の出典を教えた話があるので、この一文を知っていたのは疑いありません。
足利学校の基礎が築かれた室町時代に活躍した世阿弥の『風姿花伝』には、能の芸の展開を「おおかた七歳を初めとす」に始まり、十二・三歳より「ようよう声がかかり」、十七・八歳より、二十四・五歳より、三十四・五歳より、四十四・五歳より、五十有余より、と人生の区切りごとに何をすべきかを記しています。
これは明らかに論語にならったものですが、世阿弥は父の観阿弥からの教えとして記したもので、どんな心構えで過ごすべきかを語っています。
孔子が語ったのは、「七十にして心の欲するところに従って、矩をこえず」の七十歳になってからでしたが、このように人生について考えるようになったのは、「天命」を知った五十歳、これからいかに生きて行くかを見定めたからでしょう。
江戸時代の伊能忠敬は、四十五歳で名主を引退し、「天の道」として江戸に出て五十五歳で蝦夷地に測量の旅に出ました。天命として日本地図作成へと向かいました。
皆さまも人生を振り返り、これからいかに生きるべきか考えてみましょう。今まで来た道を真っ直ぐ歩むか、それとも新たな道を歩むか。
令和3年11月23日
史跡足利学校庠主 五味文彦