前田庠主のことば(平成19年11月23日)
人生の指針となるような警句や金言に満ちている古い仏典に『真理のことば』(『法句経』)があります。この中に、
学ぶことの少ない人は、牛のように老いる。
かれの肉は増えるが、かれの智慧は増えない。(152)
頭髪が白くなったからといって「長老」なのではない。
ただ年をとっただけならば「空(むな)しく老いぼれた人」と言われる。(260)
という最高齢者の仲間入りをした私にとって胸を刺すような言葉があります。いたずらに馬齢を重ねているのではないかと内心忸怩(じくじ)たる思いがいたします。
前庠主の中村元先生が設立された東方学院へは、定年を迎えて第二の人生を歩んでいる方が大勢来られます。その中のお一人で、永年勤務した教職を退き、縁あって東方学院の門を叩かれた方が、東方学院で発行している『東方だより』に、『論語』冒頭の有名な一旬
子日く、学びて時に之(これ)を習う、亦た説(よろこ)ばしからずや。
を引用、学び復習することの喜びを述べ、「人が自分を理解してくれなくても慍(いきどお)らない」君子の境地を目指して精進を重ねたいと抱負を述べておられます。 同じ『論語』には、
学べば則ち固(こ)ならず。 思いて学ばざれば則ち殆(あや)うし。
と言われております。学ぶことによって知見を広めれば、狭量な考えに囚われないようになる、と説かれ、さらにまた考え、思うだけではなくて、学ぶことの大切さが強調されています。
仏教の開祖ゴータマ・ブッダは、最後の直弟子となったスバッダに教えを説いてから、いよいよ臨終を迎えられます。そして枕頭の弟子たちに、
「もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成なさい」と。
(『大パリニバーナ経」6.7)
という、出家以来「修行をつづけて来た者の最期の言葉」を残し、二本の沙羅の木の間で、安らかに息をひきとられたと伝えられています。ときに80歳でした。ブッダの遺言は、後に残していく弟子たちに対する訓戒であると同時に、ブッダ自身の生きざまを間接的に述べられているように思います。
このように孔子もブッダも一生勉強、一生修行を、口を揃えて勧めておられます。足利学校が皆様のそのような勉強の場であって欲しいと願っています。
平成19年11月23日
前田專學