前田庠主のことば(平成23年11月23日)
「色は匂へど散りぬるを、我が世たれぞ常ならむ、有為の奥山今日越えて 浅き夢見じ酔ひもせず」
となります。日本人の心に深く染み込んでいる仏教の無常観を歌った今様歌です。弘法大師の作と言われていますが、平安中期に作られたものとも言われています。
これは仏典のあちこちに見られる「諸行無常 是生滅法 生滅滅已 寂滅為楽」という詩を邦訳したものといわれています。この漢文の詩の源となったインドの原文を邦訳すれば、
「もろもろの作られたものは、無常である。生じては滅びる性質のものであり、生じてまた滅びる。それらの静まることが安楽である」
となり、この世のものの移り変わる道理を知れば、平静で安楽な悟りの境地に至ることを、淡々と抽象的・思弁的に述べております。
他方日本の「いろは歌」には、原文にない「(花の)色は匂い」「散り」など情緒的・具象的・直感的な日本人の特質が加味され、しかも「(無常な)もろもろの作られたもの(=有為)の(越えがたい)深山を今日乗り越えて、(二度と)浅はかな夢を見たり、執着したりはすまい」という強い決意が表明されています。すなわちこの世のものは一切が無常である、という永遠の真理を悟れば、二度と無常なものに執着することはなくなるという、このような意味深いアルファベットをもっているのは、世界中の言語の中で日本語だけではないでしょうか。
原発事故の最大の原因は、有為の奥山を越えていない人間の「想定外」であったように思います。一切は無常である、という真理に背を向けて、20メートル30メートルの津波はこないという想定、固定観念、仏教のことばを用いれば執着に取りつかれて、いつ襲い来るかも知れない津波に対する適切な対策を講じなかったためではないでしょうか。
いろは歌は、一切が無常である事のみならず、執着がなくなるとき、何ものにも囚われない正しい判断が初めて可能となるという私たちの先祖の英知をも教えていると思います。
平成23年11月23日
史跡足利学校庠主 前田專學