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「近世日本の教育遺産群」提案の概要

  平成21年に出された文化庁の審査結果で、「“教育”のコンセプトで類似する他市提案との比較研究を進めるべき」との意見が添えられたことを受け、「近世の教育資産」として調査・研究を進めることにしました。
 

  同種の教育資産を有する茨城県水戸市(旧藩校「弘道館」)、岡山県備前市(郷学「閑谷学校」)、大分県日田市(私塾「咸宜園」)とともに教育遺産世界遺産登録推進協議会を発足させ、教育遺産の調査研究や普及啓発(子ども向けパンフレット配布、国際シンポジウム開催等)を行っています。

 

  また、「近世の教育資産」としての再提案を目指して、世界遺産検討状況報告書の作成を進め、令和2年11月には「近世日本の教育遺産群―世界遺産暫定一覧表記載資産候補提案書―」を文化庁に提出しました。

「近世日本の教育遺産群」  提案の概要

  近世日本の教育遺産群は、次の6件の教育関連資産で構成されています。

  • 足利学校(あしかががっこう)  栃木県足利市
  • 閑谷学校(しずたにがっこう)  岡山県備前市
  • 咸宜園(かんぎえん)  大分県日田市
  • 豆田町(まめだまち)  大分県日田市
  • 弘道館(こうどうかん)  茨城県水戸市
  • 偕楽園(かいらくえん)  茨城県水戸市

  ここで言う「近世(きんせい)」とは、16世紀末(西暦1500年代の終わり頃)から19世紀中頃(西暦1800年代の半ば頃)までを指し、基本的には江戸時代と同じ期間です。

 

  長い戦乱の時代が終わり、平和な江戸時代になると、法律や組織が整備され「文字社会」が到来します。
  文字社会では高いリテラシー(理解・分析し、記述・表現する能力)が求められたことから、人々は、「読み、書き、そろばん」という言葉で表される基礎的な知識のみならず、身分を超えて主体的に幅広い知識を得ようとしました。

 

  為政者や知識人はこうした社会の動きを受けて、初歩的な学びから広く和漢洋(日本独自のもの、中国や西洋諸国から伝来したもの)に及ぶ多様な学問を教える空間と設備を整備していきます。
  ここでは、身分・年齢・地域を超えて、自然や地域と共生する場で教育が実施されました。

 

  その結果、階層を超えてリテラシーが広がり、人々は多様な知識と教養を習得することができました。
  礼節や規範が社会的に共有され、学習者の中から優秀な指導者や人材が輩出されて社会で活躍し、近世日本社会の発展と安定化につながります。
  こうして人々の学びへの意欲はさらに高まり、教育資産が整備されるという好循環が生まれました。

 

  近世の教育遺産群を構成する6件の資産は、日本の近世社会で生まれた「世界に類をみない階層を超えた教育の場と環境の典型」であり、近世日本の教育の意義を現代に伝える遺産の集合体です。

 

近世日本の教育遺産群の特徴を示す概念図

特徴1  身分・年齢・地域を超えた主体的な学びの場

  近世の日本は身分制社会でしたが、学習意欲をもつ人々に「学ぶ機会」が開かれ、異なる身分の者が机を並べて学べる学校も創設されました。

  • 足利学校…  身分や年齢に関する制限がなく、その名が全国に知られ、多くの学習者が集まった。
  • 閑谷学校…  庶民教育を中心としながらも、武士や他地域の子弟も受け入れ、学校の教育や運営に庶民出身者を登用した。
  • 咸宜園…  身分・年齢・学歴による制限を設けず、全国から多くの塾生が集まった。
  • 弘道館…  武士の家柄に関わりなく,学力主義が貫かれた。

  このような学校で学んだ人々のなかには、学問を通して他地域の知識人と交流を深める者もいて、幅広い知識の共有化が図られることになりました。

特徴2  漢学を基盤にした多様な学び

  • 足利学校…  漢学を教育するための膨大な漢籍(かんせき)を有していた。
  • 閑谷学校…  文庫には主に漢籍が収蔵されたが、のちには学問の広がりに対応して和書も加えられた。
  • 咸宜園…  日々の生活や実践に役立つ実学(じつがく)を基盤として,塾生の個性に応じた教育指導を行った。
  • 豆田町…  豆田町の商家には、学芸や教養に関する多くの書籍が収蔵されていた。
  • 弘道館…  漢籍に加え、数学天文学医学といった分野の書物も収蔵され,出版によって知識の普及が図られた。

  これらの資産では、講堂や書院などに加え、寮や寄宿舎が整えられ、生活のすべてが教育の場とされました。
  また、豆田町では寺院や町人が塾生を受け入れ、咸宜園の活動を支えました。

特徴3  自然や地域と共生する教育の場

  • 足利学校…  学舎である方丈(ほうじょう)の南北に庭園を配置し、自然と共生する学問的空間として設計された。
  • 閑谷学校…  城下町から離れ、教育に適した山間の閑静な場所に設置された。また、学校の財政基盤を確保するため閑谷新田村(しずたにしんでんむら)を新たに作り、下作人を入植させ地域一円で学校を支えた。
  • 咸宜園…  郊外に立地し、春秋には塾生が周辺の野山や川辺,神社仏閣等へ出かける「山行(さんこう)」が行われた。
  • 豆田町…  寺院や町人が全国から来た咸宜園の塾生を受け入れ、学園都市としての性格を有した。
  • 偕楽園…  学習者が心身をリフレッシュする場として創設された。「三」と「八」が付く日には庶民にも開放された。

近世日本の教育遺産がもたらした成果と世界史的意義

  近世日本の学校は、地域ごとの特色や学ぶ者の求めに応じて教育方法が工夫されるとともに、施設が整備され続けました。

 

  学習の機会は階層を超えて開かれており、身分・年齢・地域を超えた学びが存在していたということは、東アジアをはじめ同時代の世界に類をみない近世日本の教育の大きな特徴です。

 

  また、教育にあたっては、知識や教養だけでなく礼節規範も重視され、階層を超えて共有されることになりました。これは、近代以降の日本人の気質にも影響を与えています。

 

  教育遺産群は、個性の伸長や能力開発が国内全体で進められていたことを示す世界史的に稀有な事例であるとともに、今後の世界における教育システムの持続的な発展のヒントにもなるものです。

構成資産の紹介

構成資産については下記のページをご覧ください。

https://www.city.ashikaga.tochigi.jp/education/000029/000169/000628/p000900.html


掲載日 令和5年2月1日 更新日 令和5年10月17日
このページについてのお問い合わせ先
お問い合わせ先:
教育委員会事務局 文化課 文化財保護・世界遺産推進担当
住所:
〒326-8601 栃木県足利市本城3丁目2145番地
電話:
0284-20-2230
FAX:
0284-20-2207

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