足利学校跡(聖廟及び附属建物を含む)(あしかががっこうあと せいびょうおよびふぞくたてものをふくむ)
史跡足利学校跡は現存する日本最古の学校の遺跡です。
北西側に隣接する鑁阿寺(ばんなじ)同様に、土塁(どるい)と堀とで囲まれた居館状の景観で、平面は台形状を呈し、総面積は17,000平方メートル以上です。
足利学校の創建については、諸説あり定まりませんが、文献上でその存在が明らかとなるのは永享(えいきょう)11年(1439)に関東管領(かんれい)上杉憲実が足利学校に漢籍を寄進したことで、その後応仁元年(1467)に現在地に移転したとされます。
戦国時代に最盛期を迎え、全国から学生が集まり、儒学のほか、漢、経、易、医、兵学や占卜などの講義が行われ、その存在は「坂東の大学」として、フランシスコ・ザビエルらの宣教師によって西洋にも伝えられました。
江戸時代には、幕府より朱印地100石を賜り、その存在を保証され、たびたびの火災に遭うものの、その都度修理復興し、学灯を灯し続けました。
明治5年(1872)、廃藩置県にともない足利学校は廃校となり、聖廟および入徳・学校・杏壇の三門を残し、小学校となりました。
昭和50年代に入り、足利学校周辺の開発から遺跡の保護・歴史的景観の保全を求める声が高まり、保存整備基本計画が定められ、昭和57年(1982)から昭和63年(1988)まで敷地東半分の発掘調査が行われました。
現在の足利学校は、発掘調査成果を文献資料および絵図等と照合し、平成2年(1990)に江戸時代中期の姿に復元したものです。
平成27年(2015)4月、足利学校は「近世日本の教育遺産―学ぶ心・礼節の本源―」として、水戸市・備前市・日田市の教育遺産とともに、日本遺産に認定されました。