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足利氏宅跡(あしかがしたくあと)

あしかがしたくあとのしゃしん    東上空から

 

足利氏宅跡は平安時代末期から鎌倉時代初期に源姓足利氏二代目足利義兼によって建てられた居館とされています。

この居館の外縁の長さは北約223m、南約211m、東約175m、西約206mの不整台形をしており、土塁(どるい)と堀により四周が囲まれています。

中世の地方豪族の邸宅の様子を知ることが出来ます。

またその規模から、いかに足利源氏の力が大きかったかがわかります。

鑁阿寺(ばんなじ)は、建久(けんきゅう)7年(1196)義兼が理真上人(りしんしょうにん)を開山として、堀の中に持仏堂を建てたのが始まりと言われています。

義兼は晩年出家し仏門に入り、鑁阿と称しました。その法名をもってお寺の名前としています。

義兼の死後、その子 義氏(よしうじ)が堀の外に十二支院を建てるなどして一山十二坊(いちざんじゅうにぼう)の整備をしました。

その後も鑁阿寺は足利氏の氏寺(うじでら)として、室町将軍家、関東公方家などから厚く保護されました。

鑁阿寺境内には本堂(大日堂)・中御堂・経堂・多宝塔・鐘楼・御霊屋(おたまや)・蛭子堂(ひるこどう)・楼門・東西門・北門・庫裏など大小20余りの建物があり、御本尊をはじめとした多くの仏像や、代々寄進された品々、文書(もんじょ)など非常に貴重な文化財が数多く残されています。


掲載日 令和5年2月1日
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