木造 武将像
伝源義国立像(でんみなもとのよしくにりゅうぞう)
伝足利義康倚像(でんあしかがよしやすいぞう)
伝足利尊氏倚像(でんあしかがたかうじいぞう)
この武将像はそれぞれ源義国、足利義康、足利尊氏の像と鑁阿寺では伝えられています。
江戸時代寛政年間、松平定信が臣下の学者や画家 谷文晁(たにぶんちょう)らを動員して古文化の調査をしてまとめた『集古十種』には、鑁阿寺蔵(ばんなじぞう)の足利尊氏像及び源義国像が記載されており、『集古十種』刊行時(寛政12年(1800))において両像が著名な文化財であったことが、確認できます。
【伝源義国立像】 像高27.8cm、一木造(いちぼくづくり)古色仕上げ、江戸時代
甲冑を身にまとい、腰に太刀を帯び、右手に矢をとり、左手に弓を持ち、盤座に立つ武将立像です。
【伝足利義康倚像】像高27.1cm、一木造古色仕上げ、江戸時代
甲冑を身にまとい、腰に太刀を帯び、脇差を差し、右手に矢をとり、左手に弓を持つ武将倚像です。付属品として框座(かまちざ)があります。
【伝足利尊氏倚像】像高35.1cm、檜の一木造古色仕上げ、江戸時代
朱描模様が入り、玉眼(ぎょくがん)を嵌入します。甲冑を身にまとい、右手に軍扇をとり、右手は膝上に置きます。床几に坐る武将像で、室町時代の製作と推定されます。
義国・義康親子は、足利氏の基盤を作った人物であり、尊氏は室町幕府創建という我が国の歴史の檜舞台に躍り出た人物です。
足利氏の氏寺である鑁阿寺にこれらの像が長く残されてきたことは中・近世における鑁阿寺と足利氏との強いつながりを示唆する歴史資料として貴重です。
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