刺繍胸背 附添書(ししゅうきょうはい つけたりてんしょ)
18世紀代
胸背とは李氏朝鮮時代に王や官吏が着用する服装の胸と背中に付けられていた刺繍の装飾です。
胸背は3枚で、寸法は、それぞれ以下のとおりです。
胸背その1
縦31.5cm、横31.8cm
中央太湖石に羽根を広げた鳳凰がとまり、金地に金糸を多く用いて刺繍しています。
胸背その2
- 縦31.5cm、横29.4cm
- 縦29.0cm、横28.7cm
中央の岩に片足を上げた鳥が立ち、鳥は右側の太陽に顔を向けています。
胸背の添え書きによれば、朝鮮通交修文僧(ちょうせんつうこうしゅうぶんそう)であった京都・建仁寺の海山覺暹(かいさんかくせん)が明和7(1770)年から同9(1772)年にかけて朝鮮外交外務機関であった対馬の以酊庵(いていあん)に赴任した際、この胸背を異国の珍品として江戸の金地院(こんちいん)に贈り、さらに金地院の僧 蒼溟元汸(そうめいげんほう)が親交のあった足利学校庠主 千渓(せんけい)(在職:1755年から33年間)に由来を書いた書面を添えて贈ったことが分かります。
鳥の意匠は李氏朝鮮時代(1392年~1910年)の文官の胸背とされ、東京国立博物館にも18~19世紀にかけての胸背が所蔵されていますが、足利学校のものは、より繊細な表現をしています。
これらの胸背は制作年代や伝来経路も分かる資料であり、工芸品として後世に継承していく意義があります。
筆者は中国の明(みん)時代(1368年~1644年)中期を代表する画人である謝時臣(しゃじしん)と伝承されますが、画中からは謝時臣画の特徴は見出せず、むしろ明時代末から清時代初期(17世紀半ば頃)の蘇州(そしゅう)画壇の民間人の手になる製作とみられます。
渡辺崋山(わたなべかざん)が天保2(1831)年に足利学校に訪れた際「謝時臣の山水見事なり」と『毛武遊記』(旅日記)に記した絵画がこれにあたるとみられます。
足利市内には他にも数点の中国画が伝わりますが、県内でも17世紀以前の本格的な中国画作例は多くありません。この画は大きく切り詰められて当初の図様や形態を失っていますが、市指定文化財の要件を充分に満たした作例です。
※通常非公開となっております