御分間元標(ごぶんけんもとひょう)
左から「大前基標」(おおまえきひょう)、「明治43年銘の碑」、「御分間元標」(ごぶんけんもとひょう)
御分間元標(ごぶんけんもとひょう)
大前基標
現在の歩道上にある大前基標原位置
1基
碑 :幅37cm、高さ58cm、奥行28cm
明治3年(1870)建碑
碑文 正面:
「明治三年午五日
御分間元標
是ヨリ未ノ四分五厘二百六拾間ヲ以ッテ
大前葉鹿只上三ヶ村ノ境界点トス
是ヨリ午ノ四分七厘百九拾五間ヲ以ッテ
三番杭ノ境界トス」
右側面:「足利郡大前村天神森」
明治元年(1868)の渡良瀬川の洪水によって、当時の大前村・葉鹿村・只上村の三村(さんそん)の境界杭が流されたことにより、寛保(かんぽう)元年(1741)年の検地図をもとに改めて境界の位置を決めることになりました。
この碑は、測量の基準点である「大前基標」からの境界杭の位置を記したもので、大前基標から「未ノ四分五厘」(北から西へ136.5度)の方角へ「二百六拾間」(約472m)の地点に境界杭が置かれたことが分かります。
なお現在の「御分間元標」、「大前基標」、「明治43年銘の碑」は、昭和60年(1985)の市道改良工事にともない元の設置場所(現道路上)より約5.2m南東の道路脇に移設されており、「大前基標」の原位置には鋲が打たれています。
また「午ノ四分七厘百九拾五間」が「三番杭ノ境界」となっていることも、県立文書館(もんじょかん)所蔵 大前村文書(もんじょ)中の「渡良瀬川筋絵図」中の記載と一致しています。
この石碑は、大原神社に現存する「大前村修堤之碑」や県立文書館所蔵 大前村文書中の「渡良瀬川筋絵図」、「大前葉鹿堤防碑文 下書」と合わせ、当時の村の境界についての標示、測量法、測量史を知る上で貴重な資料です。