四所神社本殿(ししょじんじゃほんでん)
間口2間、奥行1間、二間社流造、杮葺き(こけらぶき)
江戸時代
四所神社(ししょじんじゃ)は社殿によれば応神天皇の頃に創建されたとされます。
四所とは、祭神として島根出雲大社の祭神である大己貴命(おおなむちのみこと)、三重伊勢神社の祭神である大日雹貴命(おおひるめむちのみこと)、福岡の香椎宮(かしいぐう)の祭神である足仲彦命(たらしなかつひこのみこと)、福岡県宗像神社の祭神である市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)の四柱が祀られていることからこの名が付けられたものです。
四神が祀られた由縁としては、平安時代の中頃、梁田郡(現在の渡良瀬川南部地域)には伊勢神宮の御厨が置かれ、地域内各所に神明社が建てられました。本社もそのうちの一つで、大日雹貴命が祀られました。
南北朝時代になると、足利尊氏に加勢した九州の菊池一族がこの地に住み、ふるさと福岡の足仲彦命、市杵島姫命を合祀しました。
さらに安土桃山時代、豊臣秀吉の命によってこの地に住むようになった亀井一族が、大己貴命を合祀したことにより、四柱の神が祀られるようになり、以来朝倉集落の守護神として人々の信仰を集めてきました。
本殿は朝倉町にある明神山の中腹に建っており、文政11年(1828)焼失とされ、現在の建物は弘化(こうか)4年(1847)の再建と推定されます。
本殿は覆屋によって覆われ、前面には幣殿(へいでん)及び拝殿がついています。扉の内側にはそれぞれ登り龍と下り龍、鯉の滝登りと滝下りの絵画が描かれています。
また、外部壁面の人物及び花鳥を題材にした透彫り(すかしぼり)彫刻は、立体的で丁寧な造作であり、向拝部分の海老虹梁や社殿の組物の木鼻は、江戸時代後期の典型的様式となっています。
1つの社殿に四柱の神を並列して祀った例は市内では珍しい形式で、人々の信仰の歴史を具体的に示す資料として貴重です。
保存状態も良好です。
※通常非公開となっております。