足利学校史跡内マップ
入徳門 | 学校門 | 杏壇門 | 孔子廟 | 方丈 | 書院 | 庫裡 | 玄関 | 衆寮 | 木小屋 | 土蔵 | 裏門
字降松 | 楷の木 | 北庭園 | 南庭園 | 菜園場 | 庠主墓 | 遺蹟図書館 | 収蔵庫 | 孔子立像 | 上杉憲実公碑
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写真と解説
入徳門(にゅうとくもん)
足利学校に入る最初の門です。寛文8年(1668)徳川幕府第4代将軍家綱の時の創建ですが、天保2年(1831)鑁阿寺(ばんなじ)安養院(あんよういん)の火災により焼失、同11年(1840)頃修築、その後明治の中頃に裏門を移転修築したと伝えられています。
扁額「入徳」は紀伊徳川家第11代藩主大納言徳川斎順(とくがわなりゆき:1801~1846)の書です。
学校門(がっこうもん)
寛文8年(1668)に創建され、現在、足利学校の象徴的な門となっています。
扁額「學校」の文字は明の書家 蒋 竜渓(しょうりゅうけい)が来日した時の書を、当時の江戸国史館助教授の狛高庸(こまたかやす)が縮模したものです。
杏壇門(きょうだんもん)
孔子廟の門が杏壇門です。寛文8年(1668)創建ですが、明治25年(1892)学校西方の火災により屋根、門扉が焼け、その後再建したものです。柱等に、この時の焼けた跡が残っています。
扁額「杏壇」は紀伊徳川家第10代藩主大納言徳川治宝(とくがわはるとみ:1771~1852)の書です。
孔子廟(こうしびょう)
聖廟とも呼ばれ孔子を祀ってある廟です。建物の名称は「大成殿」で寛文8年(1668)足利学校第13世庠主伝英元教の時に造営されたものです。
「大成殿」の様式は中国明代の聖廟を模したものと伝えられています。
間口12.7m 奥行10.9m 建坪138.6平方メートル(42坪)
「入徳門」「学校門」「杏壇門」「孔子廟」は国の史跡指定に含まれています。
扁額「大成殿」は有栖川宮織仁親王(ありすがわのみやおりひとしんのう)の王子で、のちに京都知恩院門跡となった尊超法親王(そんちょうほっしんのう:1802~1852)の書です。
- 孔子坐像(こうしざぞう) 【孔子廟】
- 聖廟の中央にまつられています。孔子の坐している姿は珍しいものです。
天保2(1832)年、画家の渡辺崋山によって像の胎内銘が発見され、天文4(1535)年に彫刻、納められたことが明らかになっています。 - 小野篁公(おののたかむらこう)像 【孔子廟】
- 古くから『足利学校は小野篁の創建なり…』と伝えられるので創始者としてまつったとされています。
方丈(ほうじょう)
梁間(はりま)11m、桁行(けたゆき)17m、軒桁までの高さ5m、外側の柱から茅の先(軒先)までが2.8mあります。
また地上から大棟(おおむね)までの高さは13.8mです。
寄棟造りで屋根は茅葺き、禅宗寺院の方丈形式であるのが特徴です。
- 仏殿の間(ぶつでんのま) 【方丈】
- 2本の来迎柱(らいごうばしら)の前に黒と朱の本漆塗り(ほんうるしぬり)の須弥壇(しゅみだん)があり、高欄(こうらん)にはわらび手がついています。須弥壇の両側にはふき漆で仕上げられた脇仏壇があります。
- 尊牌の間(そんぱいのま) 【方丈】
- 脇仏壇には東照宮大権現(徳川家康)の位牌を、尊牌の間には徳川家歴代将軍の位牌が安置されています。
書院(しょいん)
屋根は栗の板を重ねた柿葺き(こけらぶき)で、8畳2間の書院造りになっています。
- 書院の内部 【書院】
- 床の間、違い棚、付書院(花頭窓(かとうまど)や松川菱欄間付)があり、庠主の接客の場として使われたところです。
庫裡(くり)
庫裡は竃(かまど)のある土間、板敷の台所、畳敷きの四部屋へとつづき、その奥には湯殿などがあり、庠主や学生の日常生活の場として使われていました。
- 小屋組(こやぐみ)【庫裡】
- 茅葺き屋根の裏側です。太い松丸太の梁(はり)が3層に重ねられ、茅は大小の竹に荒縄(あらなわ)で結ばれています。
- 大黒柱(だいこくばしら) 【庫裡】
- 展示コーナー 【庫裡】
- 足利学校の歴史を中心に、ゆかりのある資料などを展示しています。
玄関
本瓦葺きで唐破風が付いています。鬼瓦の「學」の字は足利学校を中興した上杉憲実(うえすぎのりざね)の筆跡を模写したものです。
- アプローチ
衆寮(しゅりょう)
僧房または学生寮です。
木小屋
薪や農具などの置き場のほか、漬物などの食料品を保管した建物です。
土蔵(どぞう)
大切なものを格納する耐火建築として建てられました。周囲は漆喰仕上げで屋根は栗板の柿葺きです。
裏門、堀、土塁
一般の人や学生が出入りをしていた往時の通用門です。
土塁は、幅6m、高さ2m、総延長約210mで「おかめ笹」に覆われています。
堀は、幅2~7m、深さは平均40cmで土塁の外側をめぐらしています。
字降松(かなふりまつ)
第7世庠主九華和尚(1550~1577在任)のころ読めない字や意味の解らない言葉などを紙に書いてこの松の枝に結んでおくと、翌日にはふり仮名や注釈がついていたことから、「かなふり松」と呼ばれるようになったと伝えられています。
楷(かい)の木
栃木県指定 天然記念物
中国、孔子の墓の楷樹(かいじゅ)の種を育て、大正11年(1922)に植えたものです。
北庭園
築山泉水(つきやませんすい)庭園で奥の庭として南庭園より格が高く、亀の形をした中之島を配し、そこには弁天を祀る石の祠(ほこら)があります。
南庭園
書院庭園の形態を持つ築山泉水(つきやませんすい)庭園で、巨石と老松が特色です。
菜園場(さえんば)
足利学校で学ぶ学徒の生活は、自給自足でした。
足利学校内には畑があり、ここで食材として必要な野菜を栽培していました。
現在では、孔子を祀る儀式「釋奠」に用いる大根や里芋などの野菜を育てているほか、牡丹や芍薬をはじめ多くの草花が植えられています。
庠主の墓(しょうしゅのはか)
室町時代、関東管領上杉憲実は、鎌倉円覚寺から僧快元を招いて初代の庠主(校長)とし、足利学校の経営にあたらせました。
以後、明治元年までの430年間に23代の庠主が在任しました。孔子廟の裏手には、このうち17人の歴代庠主の墓があります。
多くは無縫塔で、庠主の名前がわかるのは8基あり文字が判読されていますが、残りの9基は不明です。
遺蹟図書館(いせきとしょかん)
足利学校伝来の書籍の保存を目的として明治36年(1903)3月に足利学校遺蹟図書館が発足し、大正4年(1915)に現在の建物が完成し開館しました。
収蔵庫
国宝などの典籍を保管するために昭和42年(1967)に建てられました。
孔子立像(こうしりゅうぞう)
釈迦、キリストとともに世界の三聖人の一人として崇められている孔子は、中国春秋時代の魯国(現在の山東省済寧市曲阜)の人で、儒教の開祖として歴代の皇帝に尊崇され、後に「至聖先師」の称号を贈られました。
儒学の経典『孟子』『大学』『中庸』と併せて四書の一つに数えられている『論語』は、孔子とその高弟の言行を、孔子の死後、弟子たちが論纂した書物です。論語の名言は、2500年の時を経て、今なお燦然と輝いています。
上杉憲実公顕彰碑(うえすぎのりざねこうけんしょうひ)
「足利学校中興の祖」として平成2年(1990)中興550年祭を挙行し碑を建立しました。