田崎草雲とはどんな人?
田崎草雲(たざき そううん) 【文化12(1815)年~明治31(1898)年】
田崎草雲は、文化12(1815)年10月15日に、江戸神田小川町足利藩邸内にて生まれました。
幼い頃から親戚の金井烏洲(かないうじゅう)に絵画の手ほどきを受け、20歳のときに藩士をやめて谷文晁(たにぶんちょう)・渡辺崋山(わたなべかざん)らの画風を学びました。嘉永6(1853)年には、足利藩の絵師になっています。
一方で、草雲は志士たちと交友を深め、尊王の志を強くし、幕末・維新の動乱期には誠心隊(せいしんたい)という民兵組織を結成し治安維持にあたり、足利を戦火から守りました。
明治11(1878)年には、蓮岱寺山(れんだいじやま)〔現:足利公園内〕に白石山房(はくせきさんぼう)を建て、山水・花鳥・人物など様々な作品を描きました。
草雲の描く作品は、国内外で高い評価を受け、数々の賞を受賞しています。
また、明治23(1890)年には、芸術家にとって最も名誉ある帝室技芸員(ていしつぎげいいん)に、橋本雅邦(はしもとがほう)らとともに選ばれました。
明治31(1898)年、84歳で静かにその生涯を閉じました。
掲載日 令和5年2月1日
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