ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
トップページ > 草雲美術館 > 八木節「田崎草雲」

八木節「田崎草雲」

印刷用ページを表示する掲載日:2011年10月17日更新

 足利市ゆかりの文人画家・田崎草雲(たざきそううん)を顕彰するため、「画聖草雲会」の亀田浩三企画委員長と、「神明八木節愛好会」の笠原芳久さんによって作られました。

 この八木節には、草雲の功績や人となりなどが、初心者にも分かりやすい言葉で織り込まれています。

 平成23年10月15日(土曜日)、草雲美術館で開催された「草雲秋まつり」で初披露されました。

⇒⇒八木節「田崎草雲」は動画でも紹介しています。(YouTubeチャンネル「足利市からのお知らせ」へのリンク)

八木節「田崎草雲」 (作:亀田浩三)

1. 足利文化は 数々あれど 田崎草雲 絵画の巨匠
  歴史遺産の 足利学校 価値ある書物の 処分を止めて
  文書(もんじょ)守りし その心意気 偉業成し遂げ その名も高く
  忘れちゃならない 郷土の誉れ

2. 神田生まれの 気っぷの良さと 若い頃から 正義に厚く
  けんかっ早くて 大酒飲みで ついたあだ名が 暴れ梅渓(ばいけい)
  画業きわめて 一念発起(ほっき) 足利藩士の 誇りも高く
  藩政束ねる 剛毅(ごうき)な者ぞ

3. 富士のお山を 描(えが)くは誰(たれ)ぞ 天下広しの 絵画の世界
  大家(たいか)うならす その筆(ふで)捌(さば)き 田崎草雲 異彩を放つ
  豪放磊落(ごうほうらいらく) その生き様を 歌に残せし 後々までも
  語りつきない 白石山房(はくせきさんぼう)

4. 八木節語れば 国定忠治 眼光鋭い その眼差(まなざ)しも
  田崎草雲 絵画の枠(わく)に 収(おさ)めて世間に その顔残す
  任侠一途(いちず)の 男の世界 割って入って 世間とつなぐ
  田崎草雲 稀代(きだい)の画家だよ オーイサネー

八木節「田崎草雲」 (作:笠原芳久)

1. 江戸の幕末 足利藩の 神田屋敷に 生まれて育ち
  やがて日本の 絵画の巨匠 足利名代(なだい)の その人物は
  田崎草雲 その物語 幼な頃より 絵画に秀(ひい)で
  藩を飛び出し 絵画の修行

2. 若き頃より 各地の旅へ 出ては画法を 習得いたし
  号(ごう)を梅渓(ばいけい)と 定めてからも なおも修行の 旅へと出かけ
  腕を磨くが その一方で ケンカ早くて 大酒飲みは
  あばれ梅渓(ばいけい)の 異名をもらう

3. 嫁を娶(めと)りて 新居を構え 号も改め 草雲として
  絵画極める 技法を学び 努力重ねて 35歳
  成果現(あら)わし 地理歴史書の 挿絵(さしえ)書きたる 『下野国誌(しもつけこくし)』
  栃木県での 優(すぐ)れた書物(しょもつ)

4. 妻を亡くして 3年後(のち)に 江戸を離れて 足利移住
  やがて世間は 明治の維新 変化激しき 時代の中で
  草雲みずから 尽力(じんりょく)いたし 町の安全 守らんとする
  『誠心隊(せいしんたい)』をば 結成いたす

5. 国も落ち着き 明治の時代 住まい移りて 『白石山房(はくせきさんぼう)』
  ここで絵画に 専念いたし 名画数々 世に送り出す
  富士のお山を 描(えが)かせたなら 日本一だよ 草雲さんは
  大家(たいか)うならす その筆さばき

6. 老いて草雲 さらなる名誉 国内画展で 得賞いたし
  日本国内 だけにはあらず パリやシカゴの 博覧会に
  展示いたして 高評(こうひょう)博(はく)し 名誉牌(めいよはい)をば 受けられました
  田崎草雲 郷土の誇りだ オーイサネー

初披露の様子(平成23年10月15日「草雲秋まつり」にて)

八木節「田崎草雲」初披露の様子(その1) 八木節「田崎草雲」初披露の様子(その2)

(写真)八木節「田崎草雲」制作についての説明