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至誠通天(43) 第一流の人物とは

印刷用ページを表示する掲載日:2017年7月1日更新

足利市長 和泉 聡

 最近読んだ『日本人の意識構造』(会田雄次著)の中で、明治38年3月1日、日露戦争の奉天会戦が始まった際の総司令官、大山 巌の逸話が紹介されていました。
 
 両国の命運を決定する、世界史上まれな大規模戦闘が始まった朝、司令部は砲弾の轟音で部屋が揺れ、報告者たちが慌ただしく出入りしていた。児玉総参謀長は、興奮と緊張で顔面を蒼白にして、甲高い声で叱り飛ばすように、次から次へ指示を与えていた。そこに大山が入ってきて、ゆっくりと歩み寄り、大声で「児玉どん、児玉どん、どげんしたにゃ、今日は早くから大砲の音がやかましかが、なにごとで、ごわすか」と聞いたのだそうです。さらに大山は激戦中の野砲部隊の後方に現れ、狂乱したように命令を与え続けている指揮将校に、「大筒(おおづつ)というのは上に向けるほど、遠くへ飛ぶんでごわすかな」と聞きました。
 
 こうした大山の言葉が、アガリきっていた人たちに三斗の冷や水をあびせ、衝撃的に冷静に引き戻す作用があったと、この本の筆者は書いていました。
 
 私はこのくだりを読んだ瞬間、司馬遼太郎が『竜馬が行く』の中で、「鋭さを面にあらわして歩いているような男は才物であっても第二流だ。第一流の人物というのは、少々、馬鹿にみえる。少々どころか、凡人の眼からみれば大馬鹿の間ぬけにみえるときがある。そのくせ、接する者になにか強い印象をのこす」と書いていたのを思い出しました。
 
 私は市長になってから、リーダーシップ論に興味をもち、勉強したり考えたりすることが多くなりました。このエピソードから垣間見える、大山の人間性、思い、計算。この時の大山の姿や声色は私には知るすべがなく、想像するしかありませんが、しっかりと脳裏に焼き付けておきたい。そう思ったのでした。