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足利市の提案と概要

印刷用ページを表示する掲載日:2016年2月3日更新

本市の提案

下をクリックすると、提案書の原本が見られます。

提案書原本(PDFファイル)(※容量が大きいため、注意してください。)

本市では、史跡足利学校跡、史跡足利氏宅跡(鑁阿寺(ばんなじ))、史跡樺崎寺跡(かばさきでらあと)〔法界寺跡〕の3つの国史跡を世界遺産に登録するため、国内での登録候補にあたる『世界遺産暫定一覧表』入りをめざし、平成19年9月26日に栃木県と合同で文化庁へ提案書を提出しました。提案の概要は次のとおりです。

なお、提案に対する文化庁の審査結果は平成20年9月26日に公表されました。そちらの内容については、「審査結果とその後の取り組み」の項目をご覧ください。

提案の概要

本市が提案する「足利学校と足利氏の遺産」は、大きく3つの柱で構成されています。まず「世界遺産としての国際性」、次に「室町幕府を創設した足利氏のふるさとゆえに遺された文化遺産」、最後に「文化財の保護と伝統」です。

それぞれの柱の概要は次のとおりです。

1.世界遺産としての国際性

広く海外にまで知られた足利学校

フランシスコ・ザビエルの書簡
▲フランシスコ・ザビエルの書簡

16世紀に来日したイエズス会の宣教師のフランシスコ・ザビエルは、インド・ゴアの布教本部に宛てた書簡(右写真)の中で「坂東の学院(アカデミア)あり。日本国中最も大にして最も有名なり。」と記しています。また、明(みん)(現在の中国)の鄭舜功(ていしゅんこう)もその著書『日本一鑑(にほんいっかん)』の中で、「惟下野にのみ大いなる学堂を設け、名付けて学校と題す(中略)列国の学徒嘗て二、三千人」と述べています。

また、地図作家のオルテリウスが作成した東インド図(下絵図・1570年初版)には、「academia(アカデミア)」「Bandu(バンドゥ)」と、「坂東の学院」と呼ばれた足利学校が表記されています。この頃の地図は測量により作成されたのではなく、ザビエルをはじめとする宣教師や、商人達による情報を元に作成されたことから、広くヨーロッパにまで足利学校の存在が知られていた様子が分かります。

東インド図
▲東インド図

建物や配置形態にみられる文化交流

足利学校の建物配置

足利学校は、正面向かって左手の孔子廟エリアと、右手の学校エリアに大きく分けられ、どちらもほぼ同じ規模を持っています。こうしたエリア構成は元代に設立され、明(みん)、清(しん)を通して最高学府として存在した中国北京にある「国子監(こくしかん)」や、高麗の最高教育機関として設立された韓国ソウルにある「成均館(そんぎゅんぐぁん)」と類似しています。足利学校はこれらの学問所の形態や意匠を倣いながらも、禅宗寺院の建築様式を取り入れるなどの独自性があり、中世日本の儒学教育施設の形態を示しています。

また、鎌倉時代の建造物である鑁阿寺本堂(大御堂(おおみどう))は、鎌倉時代後期の和様に禅宗様(ぜんしゅうよう)(唐様(からよう))を加味した折衷様建築の古い事例として貴重です。

儒学を連綿と伝えた足利学校

足利学校で教授していた「儒学」は、東アジア世界全般に広がる基本的な思想です。この思想は古代以来現代まで連綿と続いており、日本人の精神構造に影響を与え続けています。足利学校はわが国最大の儒学教育機関として、中国からもたらされた貴重な書籍を現在まで遺し、儒学を中心とする学問を伝えた非常に稀な存在です。

16世紀、日本でのキリスト教布教が思うように進まなかったのは、わが国の支配階級にはすでに仏教や儒学などが浸透していたからとされています。その中心的な存在として足利学校があり、西洋人が自らの文化と異なる東洋の文化に触れ、文化の多様性を認識する機会に影響を与えました。

足利学校に安置される孔子坐像
▲足利学校の聖廟に安置される孔子坐像

2.室町幕府を創設した足利氏のふるさとゆえに遺された文化遺産

源姓足利氏のふるさと、足利

足利は室町幕府を創設した源姓足利氏のふるさとです。12世紀後半、足利氏はまちの中央に館(やかた)を築きました。これが現在の鑁阿寺で、堀と土塁(どるい)に囲まれた一辺200メートル程と大規模な方形の館跡(やかたあと)は、中世武士の城館の最も古い形態を残すものとして貴重です。この鑁阿寺は、足利氏2代目の足利義兼が館の一角に持仏堂(じぶつどう)を建てたのが始まりと伝えられ、現在まで足利氏の氏寺として繁栄してきました。また、樺崎寺跡も同じく義兼が創建した寺院跡で、義兼の入定後足利氏の廟所として大切に護られました。

室町時代、関東管領の上杉憲實(うえすぎのりざね)が足利学校の復興に尽くしたのも、ここがまさに鑁阿寺や樺崎寺跡に象徴される足利氏の本貫地(ほんがんち)であったからこそと考えられます。

鑁阿寺経堂に安置される足利氏歴代将軍坐像
▲鑁阿寺経堂に安置される足利氏歴代将軍坐像

3.文化財の保護と伝承

文化財の保護の実績

 17世紀以降、足利学校や鑁阿寺では建造物の復興が繰り返されてきました。また、足利学校に現在も遺る国宝をはじめとする貴重な書籍や、鑁阿寺に遺る鑁阿寺文書、青磁大花瓶(けびょう)・香炉などの文化財、さらに樺崎寺跡の庭園などは、中世の東国を代表する貴重な文化遺産として保護され、明治維新期にこれらが散逸の危機に直面した時も、多くの人々の努力により護られてきました。

足利学校に遺る国宝書跡の1つ「宋版禮記正義」
▲足利学校に遺る国宝書跡の1つ「宋版禮記正義」

伝統行事の継承と史跡の活用

足利学校では、毎年11月23日に実施される「釋奠(せきてん:孔子をまつる儀式)」や、貴重本の虫干しを行う「曝書」などの伝統行事が現在も行われているほか、「足利学校アカデミー」や「論語の素読会」など、現在も教育の現場として活用されています。

また、鑁阿寺でも毎年節分に「鎧年越し」が行われるなど、これらの史跡を舞台に様々な行事が行われています。

釋奠の様子
▲釋奠(せきてん)の様子


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