足利市の歴史(明治時代~大正時代)
印刷用ページを表示する 掲載日:2010年12月14日更新
明治時代から大正時代までの、市内で起こったことや足利市に関係する出来事です。
明治時代
1869(明治2)
- 足利藩主・戸田忠行(とだ ただゆき)が版籍を奉還。藩知事となる。
1871(明治4)
- 廃藩置県により『足利県』となる。(人口18,704人、戸数4,254 戸)
- 11月に栃木県となる。
1872(明治5)
- 足利学校が栃木県に引き継がれる。(廃校)
1873(明治6)
- 葉鹿小学校が開校。
1874(明治7)
- 足利町となる。
1882(明治15)
- 足利西校(のちの西小学校)が開校。
1884(明治17)
- 栃木県令・三島通庸(みしまみちつね)が、足利を貫通する道路(小俣から寺岡までの全長24キロメートル。『三間道路』)の改修を命令。県道桐生岩舟線の骨格ができる。
- この年の織物生産額は約226万円で、全国屈指の織物産地となる。
1885(明治18)
- 足利織物講習所(のちの県立足利工業高校)が開設。
1886(明治19)
- 国内初の日本人の手による学術的古墳調査が、坪井正五郎(帝国大学教授)の手によって足利公園古墳で行われる。
1888(明治21)
- 両毛鉄道会社線(のちの両毛線)が、小山駅から足利駅まで開通。
1889(明治22)
- 助戸村を合併。
1895(明治28)
- 足利銀行が発足
1903(明治36)
- 足利学校遺跡図書館を創立。
- 第1回足利花火大会が行われる。
1907(明治40)
- 東武鉄道の川俣から足利間が開通。
- 足利町駅・福居駅できる。
- 足利町に電話、電気が入る。
1909(明治42)
- 郡立足利高等女学校(のちの県立足利女子高校)が開校。
大正時代
1914(大正3)
- 初代・堀込源太(ほりごめげんた)が『八木節』をレコーディング。
1915(大正4)
- 第1回鎧行列(現在の『鎧年越し』)が行われる。
- 私立足利裁縫女学校(後の白鴎大学足利高校)が開校。
1921(大正10)
- 市制を施行。初代市長は川島平五郎。(人口36,648人、世帯数6,546世帯)
- 足利学校が国の史跡に指定される。
- 県立足利中学校(のちの県立足利高等学校)が開校。
1924(大正13)
- 相生小学校が開校。
- 足利市出身の司法大臣・横田千之助氏の就任祝賀会が開かれた。
1925(大正14)
- 私立足利実践女学校(後の足利短期大学付属高校)が開校。
- 袋川水門が開通。
- 市立伝染病院が落成。
