ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
トップページ > 足利市内の文化財 > 川崎天満宮の算額

川崎天満宮の算額

印刷用ページを表示する掲載日:2021年4月1日更新

川崎天満宮の算額(表面) 川崎天満宮の算額(裏面)

 縦44.5cm、横80.0cm、厚さ3.5cm

 算額とは、江戸時代の日本において、額や絵馬に和算(日本で独自に発展した数学)の問題や解き方を記して、神社仏閣に奉納したものです。

 川崎天満宮の算額は、明治9(1876)年に、鵤木村(現足利市鵤木町)の関流和算家 内田治部右エ門の門人であった倉沢源之助、秋山彦八らによって奉納されました。

 木の一枚板の表面に、墨で図形(直角三角形に内接する円、大小の接する2つの円、大小2つの直方体の3種類で、白色及び朱色に彩色されている)、問題文、奉納者などが書かれています。

 裏面には、墨で3種類の図形(表面のものに似ているが、並び順は異なる)と、長短2種類の縦線(問題文の割り付けの罫線と推測される)が書かれていますが、文字の記載はありません。また、天地が表面と逆転しています。

 本算額の特徴として、足利における関流和算の広がりを確認できること、裏面に下絵または制作途中で何らかの不具合が生じてそのままにされたと推測される図と罫線が残されていることが挙げられます。

 江戸時代末期から明治時代初期にかけて、地方の農村に和算が普及していたことを知ることができるとともに、記された人物から当時の地域の姿を推察することができる資料として、また、算額の制作過程を見ることができる資料としても、文化財として価値のあるものと考えられます。