ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
トップページ > 足利市内の文化財 > 松田北台・観音堂境内の石塔群(まつだきただい・かんおんどうけいだいのせきとうぐん)

松田北台・観音堂境内の石塔群(まつだきただい・かんおんどうけいだいのせきとうぐん)

印刷用ページを表示する掲載日:2016年10月5日更新

 

せきとうぐんのしゃしん

 

松田北台・観音堂は、松田川左岸の北台とよばれる谷間の、北側山麓部高台に南面しています。

石塔群はその観音堂境内の東端に位置し、五輪塔10基、宝篋印塔(ほうきょういんとう)3基、供養塔3基が並んでいます。

石塔群は主に鎌倉時代後期、南北朝時代、室町時代中期頃までの墓塔群であり、後に江戸時代の供養塔が加えられています。

記年銘として、五輪塔に元徳(げんとく)元年(1329)、康歴(こうれき)元年(1379)、応永(おうえい)10年(1403)、寛正(かんせい)元年(1460)が、宝篋印塔に応永16年(1409)が陰刻されていることから、墓塔群の製作時期がおおむね確定し、当地方の石造工芸の大きな価値を示します。

また、この地は光明寺跡であるといわれ、古河(こが)公方の足利成氏が滅び、松田の地に隠棲したその室が光明院殿で、この石塔群中にその墓塔(ぼとう)があるといわれています。

応永10年の五輪塔には「円寂花□栄公」、寛正元年銘の五輪塔には「前史部侍郎枩永(栄)山霊枩大禅定門菩提」とあり、これらは当時の武将の墓塔とみられます。

中でも最大の五輪塔には、胎蔵界(たいぞうかい)五仏の種子が刻まれ、かなりの有力者のお墓であったと思われます。

13基の中世の墓塔に、近世の供養塔3基を加えた墓塔群は石塔が作られた時期を確定できることからも極めて貴重なものです。