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樺崎寺跡(かばさきてらあと)

印刷用ページを表示する掲載日:2016年10月5日更新

 

かばさきてらあとのしゃしん

 

樺崎寺跡は足利氏宅跡(鑁阿寺(ばんなじ))の北東の山間部、樺崎の谷に位置する足利氏の氏寺跡(うじでらあと)、廟所跡です。

文治5年(1189)、源姓足利氏2代目足利義兼が奥州合戦の戦勝祈願のため、伊豆走湯山(いずそうとうざん)の理真上人(りしんしょうにん)を開山として創建したといわれています。

奥州平泉での戦いの際、毛越寺や中尊寺などの華麗な浄土庭園を目にした義兼は、樺崎の地に極楽浄土の世界をあらわした浄土庭園をつくったとされます。

昭和59年(1984)以来の発掘調査により、樺崎寺が鎌倉時代初頭の浄土庭園をもつ寺院であることがわかりました。

八幡宮社殿の建つ山麓には多宝塔跡・供養塔跡・廟所跡が東を向いてならび、その前方の低地に広大な池が、周辺にも御堂が建ちならんでいました。

樺崎寺は鎌倉・室町時代を通じて足利氏の廟所として大切に保護されてきましたが、明治初めの神仏分離令により廃寺となりました。

樺崎八幡宮を含めたこの遺跡は東国の中世史と足利氏、鎌倉公方の仏教文化を代表する中世寺院跡として大変貴重です。