ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ

国宝

印刷用ページを表示する掲載日:2016年10月5日更新
名称員数指定年月日所在地所有者・管理者
宋刊本 文選(もんぜん)21冊昭和27年3月29日昌平町(足利学校)足利市
宋版 禮記正義(らいきせいぎ)35冊昭和30年2月2日昌平町(足利学校)足利市
宋版 周易註疏(しゅうえきちゅうそ)13冊昭和30年6月22日昌平町(足利学校)足利市
宋版 尚書正義(しょうしょせいぎ)8冊昭和30年6月22日昌平町(足利学校)足利市
鑁阿寺 本堂1棟平成25年8月7日家冨町鑁阿寺

 

個別の説明

宋刊本 文選(もんぜん)

文選(もんぜん)の写真中国の春秋時代末期(紀元前400年頃)から六朝の梁(500年頃)までの約130人の詩や文章を梁の武帝の長子・昭明太子が選んで一つの本としたものです。その後唐の時代に李善らが注を加えて60巻にまとめました。この本は、もともと金沢文庫に所蔵されていたもので、関東を支配していた北条氏政が永禄3年(1560)に足利学校に寄進したものです。

宋版 禮記正義(らいきせいぎ)

禮記正義(らいきせいぎ)の写真礼記正義は、昔の中国の礼儀・作法が書かれた本で、唐の孔穎達(くえいたつ)という人がつくった五経正義の一つにあげられ、全部で70巻あります。足利学校にある礼記は、35冊で、『周易』『尚書』とともに最初は、越の国で刊行されたものです。
 室町時代に足利学校を中興した上杉憲実が寄進したことが、墨によって書かれていて、伝来が明らかなものとして貴重です。

宋版 周易註疏(しゅうえきちゅうそ)

周易註疏(しゅうえきちゅうそ)の写真周易は、昔の中国の占いの本で、易経あるいは、易とも言います。魏の王弼(おうい)、晋の韓康伯(かんこうはく)が注を書き、唐の孔穎達が選んだもので、13巻からなります。毎冊の終わりに端平年間(1234)に陸子が奥書を加えて伝来の正しさを伝えています。足利学校を中興した上杉憲実の子・憲忠の寄進によるものです。

宋版 尚書正義(しょうしょせいぎ)

尚書正義(しょうしょせいぎ)の写真昔の中国の歴史が書かれた本です。古代禮記正義と同じように唐の孔穎達が選んだ五経正義の一つで、前漢の孔安国の注をもとに孔穎達(くえいたつ)が疏(そ:注釈のこと)を書いた『尚書』の注疏です。南宋で刊行された本が完全に残されているものとして貴重です。

鑁阿寺 本堂(ばんなじ ほんどう)

鑁阿寺本堂 鑁阿寺本堂は、足利氏の居館跡に建てられた東日本を代表する中世の密教本堂です。
 この本堂は室町幕府初代将軍足利尊氏(あしかがたかうじ)の父・貞氏(さだうじ)が正安元年(1299)に再建したもので、鎌倉時代に禅宗とともに中国から伝わった当時最新の寺院建築様式の一つであった禅宗様(ぜんしゅうよう)をいち早く取り入れ、外来の新技術の受容のあり方をよく示しています。
 鎌倉時代の禅宗様建築は全国的にも類例が少なく、まさに国宝にふさわしい貴重な文化財です。
 なお、この本堂は、正安元年の建築後、応永14年(1407)から永享4年(1432)の修理により、柱と小屋組を強化して本瓦葺に改められました。その後、室町時代末期までに背面向拝(こうはい)をつけ、江戸時代中期に正面向背が改修されました。