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本文
縦 137.4 横 43.5 江戸時代
「文武忠孝に励み、礼儀を正すべきこと」と2行に書かれたこの書は気迫溢れ、早雲の人となりを能く表している。
文久元年(1862)47歳のとき、足利に居を移してから、世情の動揺を洞察し、民兵養成の必要を説き、錬武館を興し
後進の育成に努めていた折、同館講堂正面に掲げていたものと言われている。
若くして書を萩原秋巌に学び、その才能にも定評があった通りの優れた作品である。