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足利学校の歴史

印刷用ページを表示する掲載日:2011年12月7日更新

学校門と寒紅梅の写真 孔子廟の写真

 「日本最古の学校」「日本最古の総合大学」などといわれている足利学校の創建説については、いくつかの説があります。

 古くは、奈良時代の国学の遺制であるという説。また平安時代初期、天長9年(832)小野篁(おののたかむら)が創建したという説。鎌倉時代の初期に鑁阿寺を開いた足利義兼(足利尊氏六代の祖)が建てたという説。室町時代中期、永享11年(1439)に関東管領(かんとうかんれい)上杉憲実(うえすぎのりざね)によって開かれたという説などがありますが、学校の歴史が明らかになるのは室町時代中期以後です。上杉憲実が関東管領になると、学校を整備し、学校領とともに孔子の教え「儒学」の五つの経典のうち四経の貴重な書籍を寄進し、鎌倉から禅僧快元(かいげん)を招き初代庠主(しょうしゅ:校長)とし、学問の道を興し、学生の養成に力を注ぎました。その後は、代々禅僧が庠主になりました。

 また憲実の子、憲忠(のりただ)は五経のうち残りの易経「周易注疏」(しゅうえきちゅうそ)を、子孫の憲房(のりふさ)も貴重な書籍を寄進するなど、戦乱の世にもかかわらず、学問に意を注ぎ学校の基礎を固めました。

 室町時代には、儒学、特に「易」について学校に学んだ僧は非常に多く永正年間(1504~1520)から天文年間(1532 ~1554)には学徒三千といわれ、事実上日本の最高学府となり、第7世玉崗瑞璵九華の30年間にわたる在任中もおおいに発展しました。このことは天文18年(1549)フランシスコ・ザビエルによって「日本国中最も大にして最も有名なる坂東の大学…。」と海外まで伝えられました。

 室町時代の最後の庠主は、第9世閑室元佶三要で徳川家康の信任が厚く、徳川家康が京都伏見に建立した瑞巖山圓光寺の開山となり、徳川家康の下で「詩経」の講義、漢籍の出版、近畿地方の寺院の統制、外交文書の作成等に活躍しました。このようなことから閑室元佶と家康との結び付きが強く、足利学校は幕府より百石の朱印地を賜りました。

 江戸時代庠主は将軍の1年間の運勢を占い将軍に献上しました。江戸時代の最初の庠主第10世龍派禅珠寒松はすぐれた学者で、名前がわかっているだけでも100名の弟子がおりました。

 慶長11年(1606)には、建物を修理し、享禄年間(1528 ~1531)の火事で焼失した本尊薬師如来を造立しました。寛文7年(1667)のときの庠主は、第13世庠主伝英元教外子で、足利藩主土井能登守利房が監督にあたり、幕府や公卿大名の寄付を受け、同8年(1668)にかけて大修築が行われました。現在の孔子廟、学校門、杏壇門はその当時の建物です。

 その後宝暦4年(1754)の落雷により御祈祷所、方丈、書院、庫裡などが焼失するとともに、貴重な古い歴史も不明になってしまいました。焼失を免れた孔子廟等は安永、寛政、享和、文化、文政の時代に修理が行われ、ほぼ寛文8年(1668)の大修理直後と同じような建物になりました。

 庠主は将軍の運勢を占って献じたほか、人々の学問や易占いにも応じたため、来学者も多く孔子坐像の胎内文字を発見した画家の渡辺崋山などをはじめ、多くの文人達も、上杉憲実等の寄進の書物等を見るために来校しました。

 明治元年(1868)京都駐在の足利藩士相場朋厚(あいばともあつ)は、学校の復興を朝廷に願い出て、藩主戸田忠行が学校の管理にあたり、藩学の求道館を併合し、僧侶の庠主制度を改め、教頭・助教などを置き町民にも学校を開校し勉学の場としました。同4年(1871)足利藩は廃止され翌5年(1872)に足利学校は蔵書とともに栃木県に引継がれました。6年(1873)には、もとの校舎等を利用して、足利町民のための学校が開校し、また9年(1876)には、町民の願いにより、土地・建物・蔵書等が県から返還され、有志の間に遺跡保存の気運が高まり、相場朋厚らが奔走して募金し、足利文庫が設けられました。明治36年(1903)足利学校遺蹟図書館が発足し、貴重図書の管理に努めました。

 大正10年(1921)3月足利学校跡は孔子廟、学枚門などの建物を含め国指定史跡となりました。

 昭和57年(1982)には、足利学校の東半分にあった小学校の移転を契機に、史跡の保存整備事業に着手し、発掘調査や古絵図・学校記録などの文献調査によって基本設計、実施設計などが各分野の専門家の指導を受け、同63年(1988)に建物の復原工事に着工し、相次いで庭園復原工事も進められ、10年の歳月を要し平成2年(1990)12月江戸時代中期の姿に甦りました。

 今後は「教育の原点」「生涯教育の場」としてさらに充実していく所存です。