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足利学校の伝統行事

印刷用ページを表示する掲載日:2012年11月7日更新

釋奠(せきてん)

 釋奠は「しゃくてん」・「しゃくでん」・「せきてん」とも読み、「釋」も「奠」も供え物を置、並べるという意味です。
 もとは山や川の神、先聖・先師を祀ることを「釋奠」と言いましたが、後漢(25~220年)の光武帝(こうぶてい)が、孔子と七十二弟子を祀ったころから、「釋奠」は孔子を祀ることを言うようになりました。
 日本の「釋奠」は奈良時代の大宝元年(701年)完成の「大宝令」(たいほうりょう)には、2月、8月上旬の丁(ひのと)の日に行うと記されています。延喜5年(905年)に編集を始め、延長5年(927年)に完成した「延喜式」(えんぎしき)という法令集に「釋奠」のことがくわしく定められました。
 足利学校の釋奠の起源ははっきりしたことは判りませんが、現行の釋奠の祖形は、明治40年に相場朋厚(あいばともあつ)により書かれた「足利学校遺蹟釋祭略式」の祭典序次で、現在の釋奠の基準となっています。明治40年の釋奠は冬至の日に挙行していましたが、大正4年からは11月23日に変更され、現在に至っています。現在の釋奠は、種々の祭器即ち簠(ほ)、簋(き)、籩(へん)、豆(とう)、爼(そ)、爵(しゃく)、犠樽※(ぎそん)、象樽※(しょうそん)、水瓶(すいびょう)等を用いて野菜類ほか米、餅、鯛、鯉、牛肉、酒等を供え、祝文は祝兼掌事が朗読し捧げています。
 平成19年、足利学校釋奠は100回を迎え、これを機に足利市が主導であった釋奠から足利市民が主体となって行う史跡足利学校釋奠保存委員会が主催することとなりました。
 平成20年(2008年)、釋奠は足利市重要文化財(民俗文化財)に指定されました。

【写真】釋奠(せきてん)の様子 【写真】釋奠(せきてん)の様子

 【写真】釋奠で使用する祭器

釋奠の祭器 俎(そ):牛肉や鯉を供える/ 豆(とう):白菜・大根など野菜を供える/籩(へん):鯛を供える/簋(き):米・餅などを供える/簠(ほ):米・餅などを供える/樽※(そん):「酒樽※」(さけだる)で、牛の絵のついているものを犠樽※(ぎそん)、象の絵の方が象樽※(しょうそん)/爵(しゃく):酒を供える器
※・・・樽は正式には缶+尊という字。

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曝書(ばくしょ)

 秋には、気候のよい時期を選んで貴重な書籍を虫干しする「曝書」が行われます。曝書は、貴重な書籍の状態を維持していくために大切な作業です。書籍を広げて風を通すことで湿気をとり、虫食いやしみ、糸切れなどがないか保存状態を確認しています。江戸時代に行われた記録も残る伝統行事で、足利のまちの風物詩となっています。

曝書(ばくしょ)の写真(本の痛みなどを確認) 曝書(ばくしょ)の写真(開いた貴重書が並ぶ)