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足利学校のあゆみ

印刷用ページを表示する掲載日:2011年12月7日更新

小野篁像の写真
小野篁

上杉憲実
上杉憲実

ザビエル(神戸市立博物館蔵)
ザビエル(神戸市立博物館蔵)

足利学校整備以前の航空写真
足利学校整備以前

足利学校整備以後の航空写真
足利学校整備以後

平安時代天長9年
(832)

小野篁 足利学校創設という
『鎌倉大草紙』・『下毛埜州学校来由記』
(しもつけやしゅうがっこうらいゆうき)

鎌倉時代建久年間
(1190~1199)
この頃、足利義兼 足利学校創設という
講書請定設置『鑁阿寺文書』(建長元年)
南北朝時代正平4年
(1349)
鎌倉公方足利基氏による学校興隆
『鑁阿寺日記』
室町時代応永30年
(1423)
『学校省行堂日用憲章』
(学校付属の病院の規則)制定
(川口市・長徳寺蔵)
永享9年
(1437)
重文指定書『周易』の表紙裏張りに
この年の暦(三島暦)が使用されている
永享4~11年
(1432~1439)
関東管領上杉憲実
鎌倉から僧快元を庠主(校長)に招く
永享11年
(1439)
上杉憲実『尚書正義』・『礼記正義』・
『春秋左伝註疏』・『毛詩註疏』の四経と学田を寄進
文安3年
(1446)
上杉憲実「学規三条」を制定
文正元年
(1466)
長尾景人 勧農城に入り足利学校もその支配下になる
応仁元年
(1467)
長尾景人 学校を現在地に移す『鎌倉大草紙』
永正6年
(1509)
宗 長(連歌師)来訪
享禄年間
(1528~1531)
足利学校の講堂、書院全焼
天文4年
(1535)
孔子坐像完成、寄進される
天文18年
(1549)
フランシスコ・ザビエル、
足利学校を「坂東の大学」という
天文23年
(1554)
講堂、稲荷社修復
永禄3年
(1560)
北条氏政 玉崗瑞璵九華に『文選』を贈る
永禄4年
(1561)
天海僧正 この年から4年間足利学校に在学
桃山時代天正8年
(1580)
武田勝頼が学校保護のため
濫妨狼藉停止の禁制を発する
天正15年
(1587)
ルイス・フロイス(ポルトガル)
『日本史』に足利学校を「坂東随一の大学」と記す
天正18年
(1590)
堀川国広 足利学校で鍜刀
天正19年
(1591)
豊臣秀次 学校の書籍等を京都に移す
9世閑室元佶三要も京都に移る
文禄4年
(1595)
徳川家康 京都から書籍等を足利学校に戻す
江戸時代慶長5年
(1600)
閑室元佶三要 関ケ原合戦の際に徳川家康に従う。
家康自筆、丸に「学」の字の旗指物を与えるという。
慶長11年
(1606)
講堂修復・本尊薬師如来造立
元和3年
(1617)
徳川2代将軍秀忠 足利学校に学校領100石の
朱印状を下す。
寛永13年
(1636)
尾張藩主徳川義直・藩儒 堀 杏庵(ほり きょうあん)
来訪
寛文7年
(1667)
徳川4代将軍家綱より白銀50貫の支給を受け、
建物造営・修復に着手
寛文8年
(1668)
孔子廟、学校門等落成
延宝8年
(1680)
この年から『足利学校記録』の記事あり
元治元年(1864)までの庠主の日記や記録
元禄2年
(1689)
ジャン・クラッセ(フランス)『日本西教史』に
足利学校を「坂東の有名なる大学」と記す
享保15年
(1730)
徳川8代将軍吉宗 金100両下附 学校の諸堂を修復
宝暦4年
(1754)
学校に落雷 方丈、庫裡などを焼失
聖廟、文庫、三門等は焼失を免れる
宝暦6年
(1756)
災害復興のため、幕府より500両を受け、
方丈庫裡等を修復
宝暦12年
(1762)
孔子廟杏壇門等の修復
安永8年
(1779)
孔子廟等修復
寛政5年
(1793)
松川東山(儒者)蒲生君平(学者)ともに庠主を補佐し
学校改革に尽力
寛政8年
(1796)
谷 文晁(たに ぶんちょう:画家)来訪
学校にて山水画等を描く
天保2年
(1831)
安養院火事により、孔子廟、文庫、鎮守、学校門等以外
類焼
天保2年
(1831)
渡辺崋山(わたなべ かざん:画家)来訪
嘉永5年
(1852)
吉田松陰(よしだ しょういん:幕末の志士)来訪
明治
~平成
明治元年
(1868)
足利学校の管理 足利藩(藩主戸田忠行)になる
明治元年
(1868)
足利藩校求道館を足利学校に併置
明治4年
(1871)
足利学校の管理が足利藩から足利県
そして栃木県となる
明治5年
(1872)
足利学校 県の管理になる
明治6年
(1873)
足利学校跡の建物の一部が小学校になる
明治9年
(1876)
足利学校跡の東半分に小学校の校舎新築
明治13年
(1880)
釋奠挙行される
明治25年
(1892)
家富町より出火の大火で杏壇門の一部焼失
明治30年
(1897)
杏壇門修復完成
明治35年
(1902)
足利学校遺蹟 足利町有になる
明治36年
(1903)
足利学校遺蹟図書館開館
明治43年
(1910)
釋奠記念講演行われる
大正4年
(1915)
現図書館完成
大正10年
(1921)
国の史跡指定を受ける
大正11年
(1922)
楷樹 寄贈される
昭和27年
(1952)
「文選」が国宝指定を受ける
昭和30年
(1955)
「礼記正義」「周易注疏」「尚書正義」が国宝指定を受ける
昭和38年
(1963)
人徳門倒壊(同年修復)
昭和41年
(1966)
収蔵庫建築工事に着手(翌年完成)
昭和56年
(1981)
足利学校跡保存整備事業に着手
平成2年
(1990)
足利学校中興550年祭を挙行
建物(方丈等)・庭園など江戸時代中期の姿に復原
平成6年
(1994)
東京大学名誉教授 中村 元氏
史跡足利学校庠主になる
平成13年
(2001)
東京大学名誉教授 前田專學氏
史跡足利学校庠主になる