七福神めぐりの歴史は古く、室町時代に京都で始められたといわれています。足利の七福神めぐりは、昭和17年、まちの繁栄と家運の隆昌、健康増進を願って生まれました。第2次大戦中は中断されましたが、昭和50年頃からの七福神ブームに刺激され、昭和62年正月に復活しました。
鑁阿寺(ばんなじ)は、源姓足利氏2代目義兼が建久7年(1196年)に自らの邸内に持仏堂(じぶつどう)を建て、守り本尊として大日如来(だいにちにょらい)を祀ったのが始まりといわれています。
その後、堂塔伽藍を整備して足利一門の氏寺としました。
寺域の周囲は土塁と堀に囲まれ、鎌倉時代の武家屋敷の面影を残しており、国の史跡に指定されています。境内には、国宝に指定された本堂など、多くの貴重な建物があります。
心通院は永禄9年(1566年)、足利長尾氏5代目の政長が、両親(憲長夫妻)の菩提のために創建したと伝えられています。
市指定史跡『長尾氏墓所』があります。
本城厳島神社は寛政5年(1793年)の建立で、通称、明石弁天(あけしべんてん)といわれていました。
昔、この里に清泉が湧く池があったので、水にゆかりが深い神として奉祀したと伝えられています。
今日では『美人弁天』として、全国的にも名高い厳島神社の弁天様です。
※美人弁天の開扉日は毎月第1・第3日曜日です。
開扉日以外はカー&サイクルタナカ様(本城2丁目)、お菓子のロア朝倉総本店様(朝倉町)にて「美人証明書」をいただくことができます。
詳しくは美人弁天ホームページをご覧下さい。
長林寺は文安5年(1448年)、足利長尾氏の菩提所として初代景人が創建しました。
元禄時代、修行道場として別格地となり、明治維新までの人材育成の道場として伝統を継承し、参禅会、仏教講座など開設しました。
境内には長尾氏歴代墓所(市指定史跡)、足利出身の画聖・田崎草雲の墓などがあります。
西宮神社は慶長8年(1603年)に、代官・風祭太郎左衛門が領地繁栄のため摂津国西宮大神さまの分霊をここに祀り創建しました。毎年11月19日、20日に開催される「恵比寿講」には、開運や商売繁盛を願う人たちで賑わいます。
常念寺は平安末期(1143年)の創建といわれ、一遍上人の法孫が、遊行中荒廃した寺の再建に尽くされたと伝えられ、仏舎利泰安の寺でもあります。時宗の開祖・一遍上人は、熊野本宮に参籠して神勅を感得し、立教開宗したと伝えられています。
福厳寺は寿永元年(1182年)に、藤姓足利四代目忠綱の父母の菩提を供養するために理真上人を勧請開山として開創されたといわれています。足利義兼公と時子の持仏と伝えられる子安観音とセキ地蔵尊が祀られています。本尊の釈迦如来像は足利市重要文化財です。
弘仁年間、弘法大師空海によって勧請されたと伝えられ、江戸時代中期には別当である金蔵院によって巨石の上に石宮、 後に弁財天像(現在も金蔵院弁財天堂に祀られる)が造立されました。
江戸時代の祭典の際には、弁財天を運び祭礼を行っていましたが、 明治維新の神仏分離により、厳島神社となり平成元年に新たに弁財天を造立しました。
鎮座している名草巨石群は国指定の天然記念物です。
大岩毘沙門天は、日本三大毘沙門天(山城鞍馬山、奈良信貴山、野州大岩山)の一つとして知られています。天平17(745)年、行基上人が純金像を祀るのにふさわしい場所を探していたときに、夢枕に神人が立ち、大岩山を教えてくれたということに起源を発します。
毎年大晦日の夜半から奇祭「悪口(あくたい)まつり」、元日早朝に「滝流しの式」が行われます。
徳蔵寺は、平安朝末頃の開創と伝えられています。五百羅漢尊が特に有名で、日本三大五百羅漢尊の一つとなっており、栃木県有形重要文化財に指定されています。このほかにも、千庚申塔、かな地蔵尊、愛染明王像といった4つの文化財を保有しています。
足利七福神めぐりガイド(寺院の紹介など)[PDFファイル/3.51MB]
足利七福神めぐりガイド(案内マップ) [PDFファイル/2.07MB]
※パンフレット上に掲載されている長尾弁天は現在コースに含まれておりません。
平成27年10月2日、新日本歩く道紀行100選シリーズ「文化の道100選」に認定されました。
「歩きんぐくらぶ」のウェブサイトにも紹介されていますので、ぜひご覧下さい。
一般社団法人足利市観光協会、Tel.0284-43-3000