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足利市歴史文化基本構想(案)へのご意見・ご提案(パブリック・コメント)の募集結果

印刷用ページを表示する掲載日:2010年12月1日更新

 「足利市歴史文化基本構想」策定にあたり、平成22年11月1日(月曜日)~11月19日(金曜日)にパブリックコメントを募集しました。
 基本構想の案は足利市役所文化課、市民資料室、市内各公民館、足利市ホームページで公開し、意見は9件でした。
 なお、基本構想の案に対する意見だけでなく、足利の文化財保護行政等に対する前向きな意見も寄せられましたので、主な意見を要約して掲載します。

意見者-A


(1)法界寺について
 浄土庭園を有する寺院としての存在・価値は申すまでもありません。現在、出来る限りの復元を希望します。(中略)
(2)足利学校について
 専ら、論語中心の講座を開講しているようです。が、足利学校は総合大学であったことを考えますともっと広く講座を開く必要と思います。(中略)
(3)織物関係について
 この関係のものが現在3ヶ所に散らばっていてどれも中途半端。
 織物で足利へ訪れる方に案内を希望されても、どうしてよいやら大変困り恥しい思いをしています。出来れば建築等を考慮して、木村家にまとめて展示できないか(織姫会館の伝承館、まちなか遊学館に展示のもの)。(中略)
 結論として
 日本中どこも同じような街の景観になって来て、魅力ある所が少なくなってきている。その点、足利は街中に他に追随を許さない遺産を持っている。街を歩けば、僅かといえども倉も見える。今になってみると、更に貴重。アウトレット等はいつでも造れる。従って最後に残るのは旧市街と信じています。
 ですからこのことを十分認識して、その場限りの場当り的な政策でなく、この街をどうゆう形にして残すのか、しっかりしたビジョンを持って計画実施にあたって欲しい。更に、児童、生徒に足利の歴史、文化的価値を十分分かるよう、そして、故郷に愛着をもてるよう、指導の場を設けることが大切と思います。次世代に立派な足利を残すことこそ、私達の使命と思っています。

意見者-B


「本町」再発見!!
 横浜の「元町」、神戸の「元町」モトマチという言葉になぜかモダンな流行の発進地であり由緒をもった土地を感じます。
 足利にも本町とよばれる地域があります。
 長尾氏時代の城下町として栄えた土地で、五・六・七丁目緑町・栄町です。通りにはかつては織物商の豪邸が並びさかさ川が繁昌を語るように一日七色の水が流れたと言われています。
 水通山から見る足利は、機屋繁昌のけむりたつ野口雨情。
 本町には草雲美術館・足利公園・歴史ある社寺が連なり、機屋の旦那衆が取引したという「六丁目買場」もわずかに面影をのこしています。
 織姫公民館を拠点に本町を街づくりの元としたらいかがですか。

意見者-C


 足利市は、足利氏発祥の地として足利学校をはじめ、史跡や文化財が全市的に点在する一方、古くから織物で知られる産業都市です。
 しかし、構造変化や長引く不況で“ものづくり”は停滞、拡大を目指す産業的価値観が頭打ちとなり、振興活性化を担うべき地域資源として民俗文化的価値観が見直されてきました。
 昨年の足利市立美術館企画展「祈り-足利の絵馬と伝説の神仏たち-」では、期間中の来館者が7千人を超えるなど大きな反響がありましたが、その一方でこうした風潮に便乗しながら、その本質や背景を理解しようとせず、自分たちに都合よく解釈したり、創作したりする安易な商業・観光活用も目立ちます。こうした現状から、足利市歴史文化基本構想を進める上で、民俗文化的価値観を共有し、実効性のある保存活用を図ることが必要と考えます。
  (1)全国レベルながら見過ごされている市内の民俗(怨霊信仰や富士信仰をはじめとする秘教、途絶えた秘祭など)に対する注目。
  (2)「足利の文化財一斉公開」や各地区文化祭における文化財の展示など既存の関係事業に対する評価点検。
  (3)足利市立美術館などの施設を活用した発信。
  (4)すでに同種の事業に取り組んでいる各種民間団体(足利絵馬の会、緑がおいしい北の郷探偵団など)との連携。

意見者-D


(前略)足利市の最西端「小俣町」は群馬・栃木県境に位置し東山道を経て京文化や物流等交通の要所として発展して来たもの思われます。特に絹織物(縮緬、銘仙)等の織物文化が当地に根付き繊維産業が隆盛となる礎を築いたもの思います。まさに「歴史と文化の街足利」それに相応しい町が小俣町であると思います。
 古刹鶏足寺は、大同4年(809年)創建とされ往時には僧房48伽藍、山内8坊24箇寺、末寺364余寺あったとされ、文化財に於いても国重要文化財、県、市指定文化財を含め48点をも数えられるといいます。その鶏足寺の後方には城山が聳えます。戦国の世には足利氏ゆかりの小俣氏初代賢宝が築城したといわれ、後代にはやはり足利氏ゆかりの渋川氏が当地を治めました。小俣氏四代尊光は足利尊氏・直義との兄弟争いに直義軍下にあり、静岡県薩埵山の合戦にて敗れて山梨県大月市周辺に逃れ、土着して現在では小俣姓その数1千家を越すといわれます。また、渋川相模守義勝時代には小田原北条家参勤の留守を狙い、上杉謙信勢が小俣を攻めて来た小俣城の戦い「新田老談記」は今でも語り継がれております。この様にして小俣地区は鶏足寺を中心とした文化や民間信仰が起こったものと思われます。
(中略)
 人物に於いても織物関係では染色家・錦織りそして歌人でもある山藤政八氏、蚕業指導家の大川雲平氏、織物買継商で政治家でもある木村半兵衛氏。足利市に大型店として進出して来た「十字屋」の創始者である山藤捷七氏。学問関係では和算家の大川栄貞氏や漢学・国学にも通じ小俣小初代校長でもある川上弘樹氏等を小俣町から輩出しております。
 このように多くの文化財がある小俣地区を「文化財群」として提言いたします。

意見者-E


 文化財は有形の物として、思い又は見てしまい、主役ではありますが脇役の無形文化財としての人間(足利市民)の存在が必要です。
 つまり、車、自転車の両輪の如く、均衡(バランス)の取れた文化都市でなければなりません。他の都市にくらべ多くの有形の物がある都市として、市民が勉強し、体験をし、技術を磨きあげるのに素晴らしい教材が沢山ある事に感謝し、誇りに思い、修理修復のできる匠を育て、子供や孫の代に受け継ぐ事が無形文化財としての大切な意義であり、足利市の財産となります。
 いくら多くの有形文化財が存在してもそれを守り受け継ぎ、修理修復をする市民がいなければ、歴史的文化都市ではありません、つまり両輪がうまく回転すれば特色ある文化都市となり、無形文化財も足利の財産でありますので、光を当てるべきです。
 つまり市民一人一人が素晴らしい知識、情報、技術、英知、特技等を持っており、小さな蛍の光のようかもしれませんが、これらを集約することで明るい光となります。その光を途絶えたり、消えてしまった祭り、歳時記を市民が再生することによって文化財に対する意識が高まることが、大きな光に変えていくこととなります。
 文化は日本、足利古来の生活に根付いたものであり、祭りや歳時記が有形、無形へと繋がってきました。大きな視点で見れば地産地消であり、この事は他の都市にはない足利市の特色と特権と財産であり、これからは文化を産業として足利に寄与する事も考えていくべきです。
 文化産業として発展していく事は豊かな町づくりへと繋がります。