ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
トップページ > 組織でさがす > 文化課 > 平成28年度 史跡樺崎寺跡の発掘調査の結果!

平成28年度 史跡樺崎寺跡の発掘調査の結果!

印刷用ページを表示する掲載日:2017年11月16日更新

 国指定史跡「樺崎寺跡(かばさきでらあと)」の発掘調査は、昭和59年から法界寺跡第1次発掘調査として始まり、平成13年に国史跡となってからは、記念物保存修理事業として整備の資料を得るための調査を行っています。これまでの調査では、浄土庭園を中心とした伽藍(がらん)や、その周辺に広がっていた僧坊施設などの状況が確認されています。

 

⇒⇒国指定史跡「樺崎寺跡」の歴史
⇒⇒国指定史跡「樺崎寺跡」とは?

◆平成28年度 史跡樺崎寺跡発掘調査の結果

平成28年度のえんち発掘調査の完了写真【全掘状況(北東から)】

 

今回の発掘調査は、園池洲浜(えんちすはま)の復原整備工事に先立ち、園池中島の東側、約200平方メートルについて発掘調査を実施しました。なお、これまでの調査で園池は大きく4期の変遷が確認されており、1期が創建期、2期が鎌倉期、3期が整備対象時期である南北朝から室町期、そして4期が江戸から明治期となっています。今回の調査ではその内の園池4期及び園池3期の状況を確認しました。

 

【園池4期(江戸~明治期)】

園池4期の頃には、それまで池の浚渫が繰り返し行われてきたため、池は全体的に小さくなり、もともとは一つの大きな池だったものが、池中央に位置する中島付近を境に、北の鶴池と南の亀池の二つにわかれてしまっています。今回、発掘調査を実施した地点は、池が二つに分かれて以降、現在まで両池を隔てる土手として残ってきた部分にあたります。

土手: 江戸期の土手は、幅約4.8~5.6m、池底からの高さ約1.2mで、東岸から中島に向かって東西方向にのびています。土手の構築土は、基本的に池底の堆積土を盛り上げてつくられており、園池4期の改修の際に周辺の池底の浚渫とともに土手を構築したものと考えられます。

東岸: 土手の北側で東岸との接続が確認できました。池岸はかなりの急傾斜で、土手同様、池の堆積土を盛り上げただけの、同じ浚渫作業の過程で改修が行われているようです。

出土遺物: 瓦、かわらけ片、寛永通宝など。

江戸期(えんち4期)の土手の検出状況写真 江戸期(えんち4期)の亀いけの検出状況写真

【左】 園池4期土手の検出状況(東から) / 【右】 園池4期亀池の検出状況(西から)

 

【園池3期(南北朝~室町期)】

園池3期は、南北朝期の洪水に伴い水没した園池を復興した姿と考えられます。

東岸: 池岸には5cm程度の礫がわずかにみられる程度で、同じ東岸でも北側の導水口付近のような、5~15cm大の礫を多用する丁寧な護岸処理は施されていませんでした。おそらく当初は全体に礫を打ち込んで護岸としていたものと思われますが、その後はあまりきちんとした補修が行われてこなかったものと考えられます。

池底: 江戸期以降、長らく土手の下に埋まっていたこともあり、池底の残存状況は非常に良好で、底面は砂及び砂利を多く含む粘性土でよくしまっていました。調査の結果、この地点の水深は約70~80cmであったことが確認されました。

出土遺物: 瓦、かわらけ、漆椀など。なお、かわらけは中島寄りの3期池底面の直上付近で多く出土しています。以前中島を調査した際、島の周辺でかわらけが集中して出土していることからも、中島にて何らかの儀式等が行われた際に池に投げ込まれたものと考えられます。

南北朝から室町期(えんち3期)のひがしぎしの検出状況写真 南北朝から室町期(えんち3期)の池底の検出状況写真
【左】 園池3期東岸の検出状況(東から) / 【右】 園池3期池底の検出状況(東から)

池の堆積土中から出土したかわらけの写真 池の堆積土中から出土した漆椀の写真 池の堆積土中から出土した-さんこしょもん-のきひらがわらの写真

【遺物出土状況(左から:かわらけ/漆椀/三鈷杵文軒平瓦(さんこしょもんのきひらがわら)】 

 

まとめ

今回の調査をもって、整備対象時期である園池3期護岸全域の形状確認が終了したことになります。改めてこの時期の園池の保存状態が非常に良好であるとともに、樺崎寺が最盛期であった頃の庭園としての意匠等、保存整備の対象時期としてふさわしいものであることを確認することができました。

 

 

【史跡樺崎寺跡への案内】

  • 駐車場 約50台
  • 北関東自動車道「足利インターチェンジ」から車で5分
  • J R 足利駅からタクシーで約15分
  • 東武足利市駅からタクシーで約20分