ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
トップページ > 組織でさがす > 文化課 > 「鑁阿寺本堂(ばんなじほんどう)」が国宝になりました

「鑁阿寺本堂(ばんなじほんどう)」が国宝になりました

印刷用ページを表示する 掲載日:2013年8月7日更新

平成25年5月17日に国の文化審議会は「鑁阿寺本堂」を国宝に指定するよう文部科学大臣に答申し、同年8月7日の官報告示により、正式に国宝に指定されました。

本堂1 

国宝指定物件の概要

名称員数構造及び形式所有者所在地
鑁阿寺本堂一棟

桁行五間、梁間五間、一重、入母屋造、正面向拝三間、
軒唐破風付、背面向拝一間、本瓦葺

鑁阿寺栃木県足利市家富町

 

足利市内初の国宝の建物

足利市の国宝指定は5件目(これまでの4件は、いずれも足利学校の典籍)で、建造物としては市内初の国宝指定となります。なお、栃木県内の国宝指定は17件目、建造物としては日光市の輪王寺大猷院霊廟(りんのうじだいゆういんれいびょう)以来61年ぶりとなります。

足利市の国宝一覧
名称員数指定年月日所有
  宋刊本 文選  21冊     昭和27年3月29日    足利市
  宋版 禮記正義    35冊  昭和30年2月2日   〃
  宋版 周易註疎  13冊  昭和30年6月22日   〃
  宋版 尚書正義        8冊  昭和30年6月22日   〃
  鑁阿寺本堂    1棟  平成25年8月7日

  鑁阿寺   

鑁阿寺本堂の概要

鑁阿寺本堂は、足利氏の居館跡に建てられた東日本を代表する中世の密教(みっきょう)本堂です。この本堂は室町幕府初代将軍足利尊氏(あしかがたかうじ)の父・貞氏(さだうじ)が正安元年(1299)に再建したもので、鎌倉時代に禅宗とともに中国から伝わった当時最新の寺院建築様式の一つであった禅宗様(ぜんしゅうよう)をいち早く取り入れ、外来の新技術の受容のあり方をよく示していることなどが今回の評価につながりました。
鎌倉時代の禅宗様建築は全国的にも類例が少なく、まさに国宝にふさわしい貴重な文化財です。
なお、この本堂は、正安元年の建築後、応永14年(1407)から永享4年(1432)の修理により、柱と小屋組を強化して本瓦葺に改められました。その後、室町時代末期までに背面向拝(こうはい)をつけ、江戸時代中期に正面向拝が改修されました。
 
本堂2

組物(くみもの)に特徴

柱上の軒を支える組物は、禅宗様の特徴を示す「詰組(つめぐみ)」で、柱と柱の間にも密に組物が配置されています。
こうした組物の特徴に加え、内陣・外陣境の柱と外側の柱を大虹梁(だいこうりょう)でつなぐことで、柱数を減らし、広い室内空間を作り出していることや、傾斜がきつく反りの強い屋根も禅宗様の特徴の一つです。

組物-図

  詰組

科学的調査を実施

建物部材の一部について、放射性炭素年代測定法を用いた調査を実施しました。その結果、本堂の建築年代は、鎌倉時代後期の正安元年建築、応永から永享の大修造というこれまでの定説を裏付けるものでした。

年代測定

※鑁阿寺とは?

 鑁阿寺は、真言宗大日派の本山で大日如来(だいにちにょらい)を本尊とします。敷地内は「史跡足利氏宅跡(鑁阿寺)」として国の史跡に指定されており、平安時代末期から鎌倉時代初期に源姓足利氏2代目の足利義兼(よしかね)により、居館として築かれました。鑁阿寺は、義兼が境内に持仏堂を建てたのが始まりとされ、義兼死後、お寺として次第に整備され、室町将軍家、鎌倉公方家など、足利氏の氏寺として手厚く保護されました。
 境内には、本堂のほかにも、鐘楼(しょうろう)、経堂(きょうどう)が国の重要文化財、東門、西門、楼門(ろうもん)、多宝塔(たほうとう)、御霊屋(おたまや)、太鼓橋(たいこばし)が栃木県指定の建造物で、その他、市指定の建造物も多数あります。また、建造物以外にも、彫刻や文書、美術工芸品など、中世来の貴重な宝物類も多数残され、今に伝わっています。

経堂 鐘楼
          経堂(国重文)                   鐘楼(国重文)

鐘楼 太鼓橋と楼門
    多宝塔(県指定)         太鼓橋と楼門(いずれも県指定)

地図の読み込みに関する問題が発生したとき